01:
部室内には気まずい空気が流れていた。
摩耶は隣に座る同じ一年生の保科星を気にしながら、香取先生から貰った資料をペラペラと捲っている。
先日は二人の先輩が会話をつないでくれたので、自分から星に話しかける場面は少なくて済んだ。しかし、この状況になってしまえば、全く話をしない方がかえって不自然な気がする。
摩耶は、チラチラと星の方を伺った。自分と同様に資料に目を通しているが、彼が集中して読み進めていることが分かる。
時々、くいっとメガネを上げるクセは無意識なのだろう。食い入るように読み耽る真剣な眼差しとは対照的に、醸し出す空気感はどこまでも穏やかだった。
摩耶は、その様子に少し安心していた。誰かと話すことが嫌なわけではない。むしろ、どちらかと言えば人とコミュニケーションを取るのは好きな方だ。ただし、相手が同年代の男子となると話は別だった。どうしても身構えてしまうのである。
その原因は、小学生時代に遡る。彼女は、自身の体験した超常現象について学校で話をしたことがあった。その現象こそ、現在でも彼女が固執しているワープ現象である。
当然、周囲の反応は懐疑的だった。そして、特に反応を示したのは男子たちだった。この年頃の男児は人をからかうことが大好きで、摩耶も漏れなくその対象となったのである。
摩耶はムキになって反発したが、それが逆効果だった。以来、彼女は折に触れてオカルト少女として冷やかしを受けるようになる。これが、彼女が同年代の男子に苦手意識を持つようになった顛末だ。
しかし、この保科星という少年は、どこか他の男子生徒とは違う雰囲気を持っているような気がするのである。そんなことを考えながら眺めていると、ふと顔を上げた星と目が合った。
「・・・」
摩耶は言葉に詰まる。ここで顔を逸らすのも失礼かもと思いながらも、なかなか言葉は出てこない。そのまま目を泳がせていると、星が口を開く。
「藤森さんは、三組でしたよね?」 「え、あ、はい。なんで知っているんですか?」 「親友が三組なので、覗いたら藤森さんを見かけまして」 「あ、そうなんですね…」 「和泉秀って言うんですけど分かりますか?」 「いや、ちょっと、分かんないです」 「まだ入学して1週間ですもんね」
星は、そう言って穏やかに笑う。摩耶の返答は彼女の事情を知らなければ素っ気ないものに思えるが、星は気に留めていない様子だった。 代わりに、今までとは少し違う、熱のこもった声で静かに言った。
「秀は良い奴なので、仲良くしてやってください」 「そうなんですね。機会があれば…仲良くしてみます」 「はい、ぜひ」
そこで会話は途切れる。また、気まずい空気が流れようとしていた。正確には摩耶にとって気まずい空気なだけであり、星は全く気にしていない様子だった。
02:
そんな星だったからだろうか。摩耶は勇気を振り絞ることにより、彼に話しかけることができた。
「保科君は、何組なの?」 「僕は七組です。誰か知り合いはいますか?」 「あー、いや、七組にはいないかな」 「じゃあ、僕が最初の知り合いですね」 「うん、確かにそうだね」
星の言葉に、摩耶は自然に答える。気が付けば、口調もいつもの彼女らしくなっていた。
「あ、ごめん。急にタメ語で」 「大丈夫ですよ。僕もその方がありがたいですし」 「保科君もタメ語で良いよ」 「えーと、僕のこれはクセみたいなもので。家族相手でも敬語なんですよ」 「え!?そうなの?珍しい」
摩耶は驚いたと同時に「育ちが良さそうだもんな」と思った。しかし、何らかの家庭の事情も考慮して、これ以上は突っ込まないことにする。
「この喋り方のせいで、お互い敬語になりがちなんですよね。気にせず同級生の感じで接してもらえると助かります」 「まあ、保科君がそれでいいなら」 「あ、呼び方も気軽に、あだ名とか呼んでもらって大丈夫ですよ。播摩先輩は『ほっしー』と呼んでくれますし」 「凛音先輩は何か勢いで言っただけで、呼び方が変わりそうな気がするけどね」
摩耶は少し考えてから訊ねた。
「私と同じクラスって言ってた友達からは何て呼ばれてるの?」 「秀ですか?秀からは星と下の名前で呼ばれています」 「そしたら、私も星って呼んでも良いかな。『せい』って短いし呼びやすそうだから」 「ええ、もちろん」 「あ、あとそれから…」 「何ですか?」
摩耶は少しニヤニヤと笑う。その様子に、星は少し首を傾げる。
「星って、ギリシャ神話とか占星術とかにも関わるし、なんか格好いいじゃん」 「藤森さんはオカルトだとその分野に興味が?」 「んー、その辺りも一通り分かるけど、特に興味があるのはワープとかかな」
そして、オカルト話に花が咲いていく。 超自然科学部の部室には、既に気まずい空気はなくなっていた。
03:
部室棟の廊下には足音が響いていた。超自然科学部は部室棟の角に位置するため、普段ここまで来るのは部員か顧問くらいだ。
「あ、先輩たちかな?」 「まだ少し早いですし、香取先生かもしれませんね」
この日は一年生の授業が先に終わるため、上級生が部室に来るのは少し遅くなると事前に有楽から聞いていた。 そのため、星の推論には合理性があった。しかし、世界が常に合理性で動いているわけではない。その来客は意外な存在だった。
「まやっちいるー?」 「え?ピー子?」
そこにやってきたのは、坂本日向子だった。摩耶の部活見学に付き添った際はあれだけ嫌そうにしていたのに、すっかり慣れた様子である。
「実は相談があってきたんだけど、取り込み中だった?」 「いや、今日は先輩たち来るの遅いから、暇してたところ」 「うちもだよ。バスケ部は先輩が来るまで体育館使えないんだ」
坂本はチラッと星の方を見る。
「彼も一年生?」 「はじめまして。保科星といいます」
星は立ち上がって、例のごとく礼儀正しく頭を下げた。 坂本はその様子をまじまじとみて呟く。
「わー。こんな怪しい部活に入りたい奇特な新入生がいたとはね」 「いや、私も部員なんだけど」 「まやっちは隠せてるつもりかもだけど、十分変わってるから安心しな」 「え?私、変わってるの!?」
慌てる摩耶だが、坂本は呆れたように笑うだけだった。
「私は坂本日向子。まやっちの幼馴染みで、クラスも同じ3組だよ」 「そうなんですね。僕は七組です」 「七組だと女バスの子が何人かいるな」
立ち話が長くなりそうな気配を察知して、坂本の後ろから誰かがひょこッと顔を出した。
「日向子、ウチのこと忘れてない」
そこに居たのは、ピンクのカーディガンに金髪の女子生徒だった。 その目立つ装いには、摩耶も見覚えがあった。
「茶畑さん、だっけ?」 「ういっーす。同じクラスだけど、話すの初めてだよね?」 「藤森さんのクラスメイトですか?」 「うん、一年三組の茶畑杏奈だよ。よろろん」
茶畑は手で作った半円をパクパクさせる謎ジェスチャーで挨拶をする。 見た目こそ派手で恐そうな外見だが、明るく気さくな性格らしい。
「七組の保科星です。よろろんです」 「・・・」
星も真似して謎の挨拶をするが、摩耶は星の意外なノリの良さを目の当たりにして衝撃を受けた顔をしていた。
「で、何やらご相談とのことですが…まあ、取り敢えず座りましょうか」
坂本と茶畑は星に促され部室に入り、摩耶が譲った二人掛けのソファーに座った。 星は簡素な学習椅子に座ったため、空いているのは部長席だけになる。 摩耶は、少しだけ心地悪そうに腰を下ろした。
04:
「ねえ、日向子。本当に話して大丈夫なの?」 「ここまで来て何言ってるの!大丈夫だって!」
席に着いた茶畑は無意識に手を揉んでいる。 その緊張した様子を見て、星が察する。
「超自然科学部に相談ということは、怪奇現象についてですか?」 「その…うん」
摩耶と星は顔を見合わせる。二人とも、まさか相談ごとが持ち込まれるとは思ってもいなかった。
「えっと…この部活は怪奇現象の調査もしてくれるって、日向子から聞いて」 「ちょっと、ピー子」 「いや…まあ、だいたいそんな感じでしょ?」 「調査依頼を受けているわけではないんだけど」
どうやら、茶畑の困った様子を見て坂本がテキトーなことを言ったらしい。
「そうなんだ。ごめん、それならやっぱりいいや…」
明らかに表情が暗くなった茶畑に、摩耶が慌てて声をかける。
「いや、別に依頼を受けているわけじゃないけど、調査活動は自由にやって大丈夫で…力にはなれるかもしれないから!」 「そうですよ。相談したら簡単に解決することかもしれませんし。気軽に相談してください」 「ね!だから大丈夫だって!」
なぜか坂本が自信満々に追随する。
「その…実は見ちゃったんだよね」 「見たというと、幽霊ですか?」 「幽霊…というか」 「詳しく聞かせてくれる?」
摩耶が続きを話すように促すと、茶畑は顔を上げて話を始める。
「この間、家の近くで顔が牛の化け物を見たんだ」
摩耶と星が顔を見合わせる。二人は確かめるように頷き、摩耶が茶畑に確認する。
「もしかして『牛女』を見たの?」
05:
茶畑は、また目を伏せてしまう。
「多分…いや、絶対そう。牛女が鷲林寺からついて来たんだよ」 「ついて来た?」 「そう。うち、鷲林寺で祠のまわりを何度も回っちゃったんだ」 「「・・・」」
それを聞いて、摩耶と星が黙った。 事態を飲み込めない坂本は焦ったように訊ねる。
「え?なに?どういうこと?」 「ピー子は牛女の伝説って知ってる?」 「いや、あんまり詳しくしらないけど…」
坂本は心配になって、茶畑の方を見た。 目のあった茶畑は無理に笑うと、自身の出会った異形について語りだす。
「ちょうど私も会合に来ていた議員さんから聞いたんだけど…。うん、そこから話した方が良さそうだね」